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白猫・月子に振り回される毎日。でも、愛してるぅ~~!だから全部許す(笑)。 “ヤクルトスワローズ(燕さんチーム)”“ムーンライダーズ”もちょっとあります。
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NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で、徒然亭草若師匠を演じた渡瀬恒彦さんが亡くなったそうです。

師匠ぅううう~!

そーこーぬけに!悲しい。

2007年の後半から翌年春が放映期間だったのか、もう10年前か!
超ネガティブヒロインのB子の貫地谷しほり、アホで鈍感でワイルドな落語家・草々の青木崇高を中心に、登場人物が全員、かわいくておバカさんで愛おしくて、毎日泣き笑いしながら夢中になって見ていました。

物語のキーとなった落語「愛宕山」の名演技を思い出します。

B子とおじいちゃんをつないだのも、お父さんとおじいちゃんのわだかまりを解いて、おじいちゃんの臨終にB子家族を泣き笑いさせたのも、草々を落語の道に進ませたのも、「愛宕山」だったなあ。

ああ、もう一度最初からじっくり見たくなったぞ、「ちりとてちん」。




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※ネタバレ的な発言がありますので、未読の方はご注意ください。



先日、遠藤周作原作の映画「沈黙―SCIRENCE―」を見てきました。

小説の「沈黙」を初めて読んだのが大学時代。
再読したのがその10年後くらいの30代。
そして三回目が1、2年前。

大学生のワタシの感想→キチジローこの野郎!

30代のワタシの感想→キチジローこの野郎!

40代のワタシの感想→キチジローこの野郎!

そして、映画の感想→キチジロー、堂々としすぎ~もっと卑屈じゃないと~

読むたび「コイツ(怒)!いい加減にせいよ!」と目が三角になったものです。
でも、窪塚洋介のキチジローは全然弱く見えず、ロドリゴの目をまっすぐ見つめて対等な感じ。下手をすると信念をもって裏切ってるようにも感じてしまいました。それではお話が破たんしてしまうのです。窪塚の演技は絶賛されてますけど、個人的にはちょっと違うなー、と思いました。

弱くてずるくて何度も何度も裏切る。そのくせ懲りもせずロドリゴにすがりついてくる。
あたかも彼の信仰を試すかのように。
ロドリゴにとってキチジローは、荒野でキリストを試す悪魔であり、キリストを売ったユダであり、問いかけても問いかけても沈黙していた(と思われた)神の言葉の媒介であり、そして、最後まで寄り添ってくれた信徒でありました。

小説の最終章「切支丹屋敷役人日記」で、ロドリゴが江戸の切支丹屋敷に移されたこと、キチジローがついてきていること、キチジローが信仰を捨てていなかったこと、そして今回は牢に入れられ厳しく調べられても、ロドリゴを裏切ることはなかったことが明らかにされます。

キチジローやるじゃん!

徹頭徹尾、主人公のロドリゴ司祭じゃなくて、キチジローメイン(笑)。
なぜなら、自分がこの物語に入ったら、絶対キチジローだろうと思うからなのでした。
でも最後の最後のキチジローみたいになれるかは、自信ないなあ。


物語の本流である「信仰とは」という問いかけですが、これは答えの出ない問ですね。

映画中「日本の信者が信仰しているキリスト教は、正しいキリスト教ではない」という言及がありますが、イエズス会のキリスト教と、原始キリスト教(というか、ユダヤ教の新興宗教っすよね)の教義が一緒のはずないし、同じカトリック内でも色々違いがあるはず。
日本でも、神道だって仏教だって、風土や時代によってさまざまに変化していますよね。
今でもそうですが、政治や経済と宗教って、離し難く結びついているし、あまりに信仰の純度を求めると、先鋭化してカルトに向かう傾向が。

宗教って何でしょうねえ。人間が生きていくために必要とされていた宗教が、宗教のために人が生きていくという逆転現象がしばしば起こりますねえ。宗教だけじゃなくて「お金」「健康」「愛」「仕事」「趣味」などもそうですが。
そもそも人間が生きるって、何のため?という解けない疑問が浮かび上がってきちゃう。
こうなるともう、堂々巡りですね……

と、すっきりしない、結論もでないまま、放り投げた状態で、このブログの記事を終えようとしているワタシでした。
大脱線。
毎週金曜日の夜

「明日、明後日で掃除を!」
と心に誓っているのに、日曜の夜には決まって

「来週末こそは、ちゃんと掃除を!」
と後悔し続けて早半年。
そして、あっという間に12月。

今年も床にまで放置されてる本と、使うんだか使わないんだかわからないガラクタの山と一緒に年越しだー!
って、もう大掃除を諦めてる、そんなワタシ。

つーさん、あきれ顔。
薄暗闇のなか、布団の上でべそべそ泣いている、いい歳をした女がひとり。

















ちがいます。

今朝の地震と津波警報。
2011年の3月11日の夜から翌日、翌々日のことを思い出させおって……

電気も暖房もつけず、布団に包まりながら小さなテレビの画面に映る、とても現実とは思えない恐ろしい光景を、ただただ見ているだけだったあの時を思い出して、目からだばだばと水が流れて止まりませんでした。

ワタシは何の被害も受けず、停電や物資不足もなかったのに、この体たらく。
被災された方々の心身の傷はいかばかりか。

東京電力の担当者が早々に福島第二の冷却装置停止の件を説明していたことが、少しの救いでした。事故当時は、隠蔽&隠蔽の後だしでしたからね。

東北の人たちを、特に福島の人たちのことを、これ以上不安にさせないで。
でも自然相手じゃ、怒りをぶつけようもない。
何かって言うと、東邦と八戸学院光星の最終回。
確かに東邦は大差を付けられた後もあきらめないで得点を重ねていたから、9回に何かが起こる可能性は高かった。でも、観客の作為だよ、あの応援。あの異様な雰囲気に飲まれないほど強心臓な投手は、プロにも少数でしょう。

「光星」は青森出身者が全然いないから観客は東邦の応援に回ったみたいな意見も見たけど、違うよ。観客は「無垢の観客の私たちに“感動を与えてくれる”劇的な番狂わせ」を見たがった。
めっちゃ判官びいきのワタシですが、球場全体で無責任に盛り上がって、ひどいと思いました。

感動を与えてくれる、って嫌な言葉ね。作為的なものを感じる。もっと感動を寄越せ!と貪欲なくちばしをピーピーさせてるみたい。最近なぜか巻き起こる、大相撲の手拍子なんか本当に、そういう感じで嫌。

都道府県代表、といいながら出身者が一人もいないってなんだよ!おかしくないか!って、思いますよ。卓球の中国人選手の帰化問題と同じで、「なんで○○国と対戦してるのに、相手はまた中国の人?おかしくない?」ってなもんよ。
でも、どちらもルール上、おかしくないんだよね…。そんなこというなら、7人制ラグビーを見よ!ってことにもなりますしね。

良くも悪くも、有象無象がひしめく一大スポーツビジネスなんだよなー。高校サッカーもそれなりだろうけど、多分まだ高校野球のほうが市場として上でしょう。
高野連は「教育の一環」って言い張ってるけどね。
理想(=建前)と現実の乖離がこれだけ激しいものはないんじゃないかな。
もう、「興業ですから!金儲けるよ!」って宣言してしまえ。その金を高野連が握るんじゃなくて、野球文化の向上のために使えばいい。


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kawoossan
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自己紹介:
kawoossan:白猫月子(つーさん)の下僕。

月子(つーさん・♀):雑種の駄ネコ。下僕に厳しく、自分に甘く。
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